じゃがいも料理だっていろいろある


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かつてアラン・ケイがコンピュータを「ファンタジー増幅機」と表現したように、ICTそのものに特定の色(利用目的)は付いていない。ただ、教育のICT活用は、30年前から強烈な色が付いているように見せつけるのが流行ったせいで、今でも基本そのままだと学校現場では理解されている。

例えるなら、それは「じゃがいもはカレーに入れるモノだ、他の食べ方は認めない!」みたいなもの。すると今度は反動で、カレー嫌いになった人が憎さのあまりじゃがいもまで全否定する。「カレーは嫌いだ。中に入ってるじゃがいもは(きっと)食べる価値もない」と。

結局、カレー好きな人しかじゃがいもを食べなくなる。美味いじゃがいも料理はいくつもあるのに、食わず嫌いされる。これは実にもったいない。
こんな状況で「じゃがいもはカレーでなくても美味い」などと至極真っ当な事を言うと、カレー推進派からは反主流だとマークされ、カレー嫌いからは「じゃがいもなんか勧めやがって」と反目される。今の僕の立場はそんなところだろうか。やれやれ。

日本の学校のICT活用で「正統」と言われる範囲はきわめて狭小で、しかも、時代の変化に対応できていないことが明らかになってきた。加えて、学校でなかなか上手く展開しない状況を権威で誤魔化し、「教員研修だ、モデル授業研究だ」などと、周囲に圧力をかけ続けてきた結果、学校現場はICTそのものへの不信感や反感を募らせてしまった。

例えば、自然志向・対話志向・経験主義の人が往々にしてICTを否定するのは、過去ICT活用の正統派と言われてきた教示主義的教具・学習者制御手段としての使い方に反発するからだ。ただし、正統派のアンチとしてICTを否定したところで、実は、相変わらずそのドグマ(教義)に拘泥されていることには変わりはない。煮詰まった議論には昇華が必要だ。

最初に述べたように、ICTそのものに特定の目的はないのだから、手垢の付いた「教育ICT活用正統派」の主張や権威や圧力は一旦忘れて、むしろ、これまで反感を覚えていた人こそ、ICTを使って自由に工夫してみて欲しい。少なくとも、日本の学校が長年取りこぼしてきた魅力的なICT活用の解はそっちにあると僕は考えている。