プログラミング教育に「哲学」はあるか?

こんにちは。疲労がピークでやる気がおきない教育ヲタ母です。COMP飲んで寝よ。
 
私は昨年、夏にプログラミング教室を運営している会社を辞めています。その中で葛藤したことや考えたことなどを書いていきたいと思っています。
 
今回は「プログラミング教育」と「哲学」について。
 

目次

1. 哲学って何をすること?

哲学というと「生きるとは何か?」「愛とは何か?」のように、おおよそ生活とは縁のないことを考えている学問、私はそんな印象をいままで持っていました。しかし、最近になって哲学について少しづつかじり始めたところ・・・どうやら哲学は私たちにとって、特に子供の教育に携わる人にとっては大変重要な学問だと思うようになりました。
 
教育哲学者の苫野一徳さんがこんなことを書かれていたと記憶しています。(出典不明。。。すみません。)
 

哲学とは、今の時代に考えてなければならない問い、を立てその問いに対して答えをだすこと。

 
実際に、苫野一徳さんは
 ・どのような教育が「よい」教育か
 ・いつ・なぜ「叱る」べきなのか
 ・勉強するのは何のため?
など、教育や育児の現場で悩みそうな問いに対して、(苫野さんなりの)答えを出しています。
 

 

2. 「プログラミング教育」と「哲学」

コンピューターについても、哲学していた人がいたということをつい最近、知りました。
この本の中には、哲学者がたくさん紹介されているのですが、その哲学者の一人に「チューリング」さんが紹介されていたのです。

そうです、チューリングマシンの提唱者です。
 

2-1. 哲学者でもあったチューリング

チューリングについてはこちらに詳しい記事があるので、ぜひご存知ない方は読んでみてください。
 
▼天才アラン・チューリングの栄光と悲劇
http://gagbot.net/blog/blog21
 

彼の人生は「イミテーション・ゲーム」という映画にもなっています。
そして、チューリングが掲げた問いこそが「機械は(人間的な)思考をするか?」です。この問いがあったからこそ、今のコンピューターがあるのです。
 
チューリングマシンをScratchで再現したプロジェクトが多数あるので、Scratch内で検索してみると面白いですよ。
 
▼チューリングマシンを再現したプロジェクトの例

2-2. プログラミング教育に「問い」はあるか?

プログラミング教育は新しい教育です。ですから、次のような問いを立てている方も多いのではないのでしょうか?
 
 ・どのようなプログラミング教育が良いプログラミング教育なのか?
 ・プログラミング教育で子どもたちに考える力はつくのか?

 
そして、これらの問いの前の段階として次のような問いも考えて置く必要があると思っています。
 ・コンピューターとは何か?
 ・考えるとは何か?
 ・未来を生きる子どもたちに必要な力は何か?

 

3. 子ども向けプログラミング言語と「哲学」

以上のような「哲学」っぽい問いを立てることで、各言語についてそれなりの性質が見えてくると思います。
 
たとえば、Scratchはあくまで「今、大人が使っているプログラミング言語に近いものを子供用にしたもの」と言えます。
「大人のプログラミングスキルを身に着けることが、プログラミング教育なのだ。」Scratchからは、なんとなくそんなメッセージを受け取ってしまいます。(私の邪推かもしれませんが。)
 
Viscuit(ビスケット)については、開発者であるはらだ博士のブログをご覧になっていただければ、はらだ博士の哲学を感じられます。
 
▼はらだ博士のブログ
https://devroom.viscuit.com/
 
「コンピューターは粘土だ」「コンピューターをすごくするのは、君たち(子どもたち)なんだよ。」
Viscuitにコアなファンが多いのは、そう言い続けるはらだ博士の言葉に確かな哲学があるからかもしれません。
 
少なくとも、ScratchやViscuitのテクニックだけを子どもたちに教えること、Scratchのコードを写経させることは、プログラミング教育の本質からは大きく外れていると思います。
 
そんなわけで、私は「ビジネスで結果を出すこと」と「哲学すること」の間で葛藤してしまうのでした・・・。

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